
Zweikommasiebenは、2011年の夏から現代音楽とサウンドのドキュメンテーションに力を注いでいるスイスの雑誌です。この雑誌は、アーティストのインタビュー、エッセイ、コラム、写真、イラスト、グラフィックスを特色としています。 さらにZweikommasiebenは、さまざまなイベントを企画し開催しています。たとえば、2018年の夏にサンフランシスコで最初に開催されたシンポジウムEbbing Soundsや、隔年開催のロンドンを拠点とするフェスティバルOto Nove Swissです。
今号では再び世界の他の知覚に到達する方法についての多くの提案を集めています。掲載されている多くのアーティスト、寄稿者たちは見方、聴こえ方、経験の他の方法について語っています。
アーティストは新しい知覚を開発する専門家です。例えば、オランダのレーベルQueesteのGerben de Louwや、DJ Heroinプロジェクトに関連したPhilip Müllerのように、パフォーマンスやプレゼンテーションのために新しい文脈を模索している場合があげられます。一方、パフォーマーのSue Tompkinsは、異なる文脈や場所が、他の機会の触媒となり得ることを強調しています。DJ Lycoxにとって、故郷のリスボンからパリへの移動は、音楽に対する新たな視点を得るために重要なことだったといいました。そして、Melika Ngombe Kolongo(別名Nkisi)は、別の世界観を持っているだけでなく、異世界を見る可能性を別名で選んだのです。Nkisiは、コンゴの前植民地時代に作られた儀式的な彫刻であり、我々の世界を見ることができると同時に、冥界を見る可能性を与えてくれるのです。
Bogomir Doringerは、現代のメディアテクノロジーの別の見方を発展させることができました。彼はクラブやフェスティバルの天井からカメラを吊り下げ,ダンスフロアを俯瞰的に見ることができるようにしたのです。彼はシャーレに向けて顕微鏡を覗き込むようにダンサーを観察し、突然、細胞生物学者の語彙が何が起こるかを説明するために最も適切なものとなったのです。ここでは、音の新しい聴き方が新しい文章を生み出すのと同じように、新しい見方が言語化されています。プロデューサーのLechuga Zafiroと作曲家のCatherine Christer Hendrix、の無機的な音のおかげで、Alexander Iadorolaは、詩的と思われる作品の言語的関連性のあるレビューを展開することに成功しています。
詩と言語が詩的になる可能性は、本号のインタビューで音楽家であるEartheaterが述べているように、彼女にとっても関心のある事です。同様に、詩のコラム「Soundtexte」で音と言葉の新たなつながりを探し続けているSimian Keizerは、その探索を導いてくれています。今号のコラムで紹介されているDagmara Krausは、言語とその音が空間を占有し、新しいアプローチ、新しい聴き方、理解を可能にしていることを示す好例です。
私たちにとって、これらの試みや実験はすべて、この多様性を記録するための雑誌のインスピレーションとなっています。このような新しい試みによって生まれた芸術的な知識への驚きを読者の皆様と共有し、誰か一人でも多くの方がこの探求に触発され、もしかしたらこの探求に参加してくださることを願っています。
その他Acolytes、Vladimir Ivkovic、Lorenzo Senni、Sue Tompkins、DJ Lycox、upsammyのインタビュー、そしてQueesteのポートレートが掲載されています。さらに、"Echoes and Minerals"、"I Dance Alone"、"Platforms Beyond Prediction"、"Still Standing "といったエッセイや、Tomoko Sauvage、Pierre Berthet、Belia Winnewisser & Vinzenz Meynerの寄稿も掲載されています。"Basslines"、"Soundtexts"、"We Are Time "という連載コラムがあります。
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